吉田地区は、交通の要衝であると同時に、藩政時代まで萩本藩の管轄であったことからも分かるように、重要な行政区でもありました。人や文化が集まる場所だけに自ずと多くの寺社も建立され現在に至っています。
吉田八幡宮 / 教覚寺 / 長慶寺/ 東行庵 / 法専寺 / 常関寺 / 蓮台寺
①《吉田八幡宮》
所在地: |
下関市大字吉田755 |
正式名称: |
旧郷社 吉田八幡宮 |
祭神: |
仲哀天皇、応神天皇、神功皇后 |
創建: |
875 年(貞観17)に石清水八幡宮より勧請され建立。1906 年(明治39)丸山天満宮と諏訪大明神を合祇。 |
祭事: |
夏越祭り。秋の大祭。 |
②《教覚寺》
所在地: |
下関市大字吉田地方2537 |
正式名称: |
霊亀山教覚寺(浄土真宗本願寺派) |
縁起: |
1495 年(明応4)に奈部山に建立されたものが後に川辺に移転、1751 年(宝暦1)土井に移転再建された。1928 年(昭和3)に改竣。 |
③《長慶寺》
所在地: |
下関市大字吉田1023 |
正式名称: |
香積山長慶寺(浄土真宗本願寺派) |
縁起: |
1567 年(永禄10)、三好長慶の子、
信之が廃寺であった香積寺を再興して、浄土真宗に改宗し香積山長慶寺の開祖となった。幕末時には奇兵隊の屯所や病院としても利用された。 |
祭事: |
夏越祭り。秋の大祭。 |
④《東行庵》
所在地: |
下関市大字吉田1184 |
正式名称: |
清水山東行庵(曹洞宗) |
縁起: |
明治17年(1844)創建。明治14年(1841)に曹洞宗総本山永平寺の貫主である久我環渓禅師から得度を受けた高杉晋作の愛妾おうのが「梅処」(ばいしょ)と称して晋作の眠るこの地で菩提を弔うことになった。
→公式WEBサイト |
⑤《法専寺》
所在地: |
下関市大字吉田地方1444 |
正式名称: |
玉雲山法専寺(浄土宗京都知恩院派) |
縁起: |
寛文4年(1664)に山内広通の室である帰命院の開基とされ、法専寺または延寿寺と称された。慶応元年(1865)には奇兵隊屯所の1つとなっており、境内には隊士達が酔狂で切ったと伝えられる首切り地蔵が残されている。 |
⑥《常関寺》
所在地: |
下関市大字吉田地方1062-1 |
正式名称: |
名月山常関寺(曹洞宗) |
縁起: |
寛永5年(1628)に吉田領主の山内広通が、臨済宗の養田庵という古跡を長府功山寺の三庭和尚に電光院として開基させたのち、万治元年(1658)に常関寺とした。幕末には奇兵隊の病院施設「吉田病院」として主に重傷者を収容していた。境内には享保年間の飢饉による供養のために奉納された十六羅漢像がある。 |
⑦《蓮台寺》
所在地: |
下関市大字吉田地方980 |
正式名称: |
白華山蓮台寺(黄檗宗) |
縁起: |
花山天皇(984~986)のころ、筑紫へ派遣された勅使が海難に遭遇したが、山から光輪が差して難を逃れたことから、花山天皇が観音像を作って寺堂を建立し開祖とされた。観音堂に安置されている木造十一面観音座像は、昭和44年(1969)に下関市文化財第1号に指定されており、毎年4月16日の大施餓鬼供養祭に開帳している。 |