明治時代に書かれた郷土史によると、葦の茂る入海という地理的条件から葦井村(または吉井村)と呼ばれていたものが、中世(足利前期ころ)に吉田権守貞恒(よしだごんのかみさだつね)が当地を領していたことから「吉田」と改めたと言われています。
長門国吉田郡と称していた近世以降は、維新後に吉田村と吉田地方(じかた)村を厚狭郡吉田村として再
編成。昭和30 年(1955)には下関市に編入され、下関市吉田町として現在に至ります。
1945 年(昭和20)頃の木屋川港(中木屋)
明治時代に書かれた郷土史によると、葦の茂る入海という地理的条件から葦井村(または吉井村)と呼ばれていたものが、中世(足利前期ころ)に吉田権守貞恒(よしだごんのかみさだつね)が当地を領していたことから「吉田」と改めたと言われています。
長門国吉田郡と称していた近世以降は、維新後に吉田村と吉田地方(じかた)村を厚狭郡吉田村として再
編成。昭和30 年(1955)には下関市に編入され、下関市吉田町として現在に至ります。
1945 年(昭和20)頃の木屋川港(中木屋)