吉田あれこれ

奇兵隊の足跡

○なぜ吉田に奇兵隊が?

高杉晋作が馬関海峡(関門海峡)の警備を目的に結成された奇兵隊でしたが、その後に各地で諸隊も結成され、所帯も大きく膨れ上がった奇兵隊の発言力が高杉の意を超えて大きくなりました。藩政への関与を薄れさせる目的もあって、当時山口にあった屯所を下関へ移そうとしていましたが、山縣らの抵抗もあって結果的に萩本藩の西端(下関は長府・清末藩領)にあたる吉田への転陣となったようです。

練兵場のあった1926 年(大正元)頃の鳩ヶ尾  練兵場のあった1926 年(大正元)頃の鳩ヶ尾

○吉田は奇兵隊の要塞に

奇兵隊の陣屋が吉田と決まって、1865 年(慶応元)4 月に約300 名の奇兵隊士がこの地へやってきました。
町中の寺社が陣屋の建築が完成するまでの隊士の仮宿として使用されることになり、庄屋の末富家は本営として幹部隊士が起居する場所となりました。吉田全体が奇兵隊の要塞と一変したのです。