吉田あれこれ

高杉晋作と山縣有朋

当時の庄屋であった末富家の現在  当時の庄屋であった末富家の現在

○高杉晋作と山縣有朋

松下村塾出身の盟友でもあった高杉晋作と山縣有朋。奇兵隊の軍監を山縣に託した晋作とは度々意見が衝突していたようですが、奇兵隊を預かる身となった山縣は、吉田の地元の人々とは良好な関係を築いていたようです。当時新婚であった山縣は吉田に住居を構え「無隣庵」と称しており、地元の町民とも 親しく言葉を交わしていたとの言い伝えもあります。後に政府中央へ進出することとなったため、空き家の「無隣庵」を晋作の菩提を弔うこととなった梅処尼(おうの)のために住居として譲り渡しています。現在の東行庵後方の住居部分が山縣の「無隣庵」の名残です。