吉田について

吉田宰判について

吉田は藩政時代から萩藩(毛利本藩)の所領であり、隣接する支藩の長府藩、清末藩とは違うため、本藩から代官が派遣される吉田宰判という行政機関が置かれていました。代官所は勘場と呼ばれ、管轄地の租税取り決めや徴収のほか、土木工事や治安の維持などが主な業務でした。
現在は吉田小学校の校庭に隣接する一角が敷地の一部として土塀と共に残されています。

1975 年(昭和50)頃のお茶屋
 1975 年(昭和50)頃のお茶屋