吉田について

山陽道の宿場として

吉田は山陽道(西国街道)の宿場として本陣(御茶屋)があり、参勤交代で九州の諸大名が止宿していました。また、馬関(下関)から萩へ向かう萩街道(赤間関街道)との分岐点でもあったため、駕籠や馬、人足の供給場所として吉田駅も置かれており、多くの人が行き交う交通の要衝でもありました。
その影響から自然と政治や経済、文化の芽が吉田で育まれ、優れた人材育成の地として今に引き継がれています。

1984 年(昭和49)頃の吉田町の中心部
 1984 年(昭和49)頃の吉田町の中心部